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「クーデターではないのか」。記者からの辛辣(しんらつ)な質問に間を置かずに返した。
「権力が一人に集中し、そうでない権力がクーデターを起こした、という理解はしていないし、そうは言っていない。そのように受け止めないでもらいたい」
300人近い報道陣が詰めかけた日産自動車(横浜市西区)本社ビル8階の会議室。19日午後10時から始まった会見で西川(さいかわ)広人(ひろと)社長(65)は二つの側面を繰り返し強調した。
「一人の人間に権限が集中したのが(不正の)誘因。長年にわたる統治の負の側面だと認めなければいけない」。代表取締役会長のカルロス・ゴーン容疑者(64)=金融商品取引法違反容疑で逮捕=が行った疑いのある重大な不正。これを「除去」する必要があったというのが一つ目だ。
それ以上に言葉を選び説明に時間を割いたのが「日産が今後も引き継いでいくべきもの」だった。
「従業員が努力して積み上げた90年代の苦労の時代。従業員とその家族、取引先が大変な苦労をし、その結果、2000年以降のリカバリー(復活)があった。この努力の結果と結晶を、この事案で無に帰することはできない」
そう言って、自らの言葉を伝えたいと、弁護士や社内の役員をそばに座らせることなくあえて一人で会見に臨んでいた。
■秘 匿
「ゴーン会長、逮捕へ」の一報が飛び込んできたのは19日午後5時ごろ。西川社長の説明によると日産は、内部告発を受け数カ月前から社内調査を始め、「重大な不正」を三つに絞り込み、検察へ情報提供し捜査に全面協力してきた。
◆ゴーン容疑者による「三つの重大な不正」
【1】実際の報酬額よりも減額した金額を有価証券報告書に記載。
【2】目的を偽って日産の投資資金を支出。
【3】私的な目的で日産の経費を不正使用。
※19日の会見で日産が指摘した点
会見でも詳細を明かさなかった社内調査と検察の捜査、容疑事実は、日産幹部の中でも数人しか情報を共有しなかった。提携関係にある三菱自動車の益子修最高経営責任者(CEO)でさえ、西川社長から連絡を受けたのは19日の夕刻だったという。
■功 罪
「私自身が日産のリバイバル以降、全身全霊を傾けてリカバリーに力を注いできた。その時々の経営会議のメンバーとして力を合わせてやってきた」
西川社長は大学卒業後、77年に日産入社。00年に部品調達などを担う購買企画部長、05年に購買部門担当の副社長となり、17年4月に社長となった。
90年代に顕在化した凋落(ちょうらく)や99年のフランス大手ルノーとの提携、その後のV字復活を肌身で経験してきた。これはゴーン容疑者が99年に日産の最高執行責任者(COO)、01年には最高経営責任者(CEO)に就き大なたを振るうのと足並みをそろえる。
ゴーン容疑者は、使用する自動車部品について特定のメーカーのものを使う「系列」という慣行を取りやめた。このときの部品調達部門を担当していたのが西川社長だった。会見で「他の人ができなかった大きな改革を実施した実績は紛れもない事実」と評し、ゴーン容疑者の行いを「功罪」と言ったのはそうした背景があったからだ。
「まずは社内の動揺をできるだけ安定させ日常業務を行う上で取引先に迷惑をかけないように集中したい」
販売台数世界第2位を誇る日産・ルノー・三菱自連合の巨艦を率いたトップの失墜。世界経済が揺れ動く中、日産は大きな岐路に立っていた。
◇
「ガバナンス」(企業統治)の重要性を最先端で説いてきた外資系企業で起きた不祥事とその影響を探る。
日産のゴーン氏はお金に目が眩んだのか、誰かにはめられたのか。
会社の中で一人だけ膨大な報酬を得ることの是非。
功のあるものに褒賞を与えるのは世の常である。
しかし、他を顧みず自分だけ栄華を極めようとしたものは、全て潰える。
貞観政要を読んで、唐の太宗を見習ってほしいものだ。
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